今年の関東地区の梅雨は例年より長引き、明けたのは実に7月最終週になってからのことだった。
 
つくばセンター地区に属する中央公園では、毎年7月の第3週の日曜日に、公園全体を使って吾妻まつりが開催されている。センター地区を校区とする吾妻学園の児童生徒やその保護者や有志たちを中心として催されるおまつりで、来年、40周年を迎える。
 
1960年代、筑波山麓の南に広がる台地が開発され、多くの大学や企業などの研究機関が東京から移転をし、それらを中心とする一大研究学園都市の形成が始まった。自然、人々の流れも変化をし、農村と雑木林のみだったのどかなこの地域は変貌を遂げ、やがては人口にして茨城県第2位を誇る研究学園都市「つくば市」が誕生するのである。開発が進みつつあった1979年4月、吾妻小学校は開校する。吾妻小学校が開校して3年目の1981年夏、児童の親たちによる「吾妻の子どもたちにもふるさとの思い出を」という声かけから吾妻まつりは始まった。大人たちは主催に携わりまつりを盛り上げ、子どもたちはまつりを楽しみつつ、自らも自由に参加してまつりを盛り上げる。開催当初は新治郡桜村だったこの地区も今ではつくば市のセンターとして様変わりし、都会さながらの様相を呈してはいるが、いつの時代も人々の想いは変わらない。子どもの想いも、子どもへの想いも。
 
子どもはいつだって夢をもっている。そして子どもは夢とともに成長し、いつしか大人になっていく。のび太くんだってしずかちゃんと結婚する夢を抱いて大人になる。いわゆる「夢」はなくとも子どもの頃に見た風景がその子の見た‟夢”である。環境がその夢をはぐくみ、みな大人になる。
 
吾妻まつりは吾妻の子たちの見る夢のひとつである。午前は、誰が言い出したか、中央公園の池で、闘志を燃やした小中学生や先生方や保護者たちまでもが参加する、工夫を凝らした手作りイカダによるイカダレース大会。午後からは、立ち並ぶ模擬店と、ステージで繰り広げられる、子どもたちや有志らによる様々なアトラクション。園内の林では、地獄横丁にでも迷い込んだかのような小径「おばけの森」まで用意される。まつりに集まった人たちの色とりどりの想いとともに、よりいっそうまつりのライトは参加者を照らしていく。
 
故郷つくばに帰った吾妻の子どもたちもまた、昔見た自分の夢に逢いに吾妻まつりを訪れる。そして大人たちはいつ、子らが帰って来ても昔と同じ吾妻まつりをいつものように準備して待っている。大人たちもまた、子どもたちが心躍らせている夢を胸に抱きながら準備をしているのである。こうして夢の連鎖は果てしなく続き、まるで、まつりはなんども繰り返す一枚のフラクタル図形のようでもある。しかし、人と触れ合う中で自然にもった夢だからこそ美しく、そこに存在し続けることができるのである。
 
今年の吾妻まつりは、早朝から降りつづいた小雨により開催が危ぶまれたが、そんなことも忘れるくらい夜にはあの熱気とともにカラリと晴れ上がっていた。
 
PTA副会長 丹下 基生